【山梨県・甲府市・丸の内・甲府城跡】山梨県・第③弾歴史巡り探訪記……甲府城跡|システマちっく不動産
2023/04/16
いつもお世話になっております。
KEIAI港南中央不動産センター、合同会社システマちっく不動産、代表の馬場通友です。
4月に入り、暖かくなってきましたね。今回は、ドライブぶらりとプチ旅行を実施しました。
第③弾としまして、久しぶりの城跡を見に行くことが叶いました。
甲府城跡(舞鶴城公園)内を探索しましたのでその内容をお届けします。写真が多すぎて、、
選ぶのに苦労しました。( ´∀` )
【 甲府城の歴史 】 日本100名城 25番
現在、甲府城跡は舞鶴城公園として親しまれています。
甲府城は、戦国時代の終わりに甲斐を治める新たな拠点として、豊臣秀吉の家臣加藤光泰(かとうみつやす)が築き始め、浅野長政(あさのながまさ)・幸長(よしなが)父子によって完成されました。
築城当時、豊臣秀吉は徳川家康を封じ込め監視するために、領国の境界に位置する甲斐国に甲府城を築いたと考えられます。城の修築工事や城下町の整備などを繰り返し、甲斐国は大きく発展しました。しかし、享保12年(1727)の大火により本丸などにあった主な建物を焼失しました。
①枚目 写真の上側 : 甲甲府城の石垣の一部
現在も高い石垣が随所に見られますが、これらの石材は城跡北東に位置する愛宕山から多く運び込まれたと考えられています。建設機械のない時代に巨石を運ぶだけでも大変なことですが、高い場所まで持ち上げ、石を積み上げることは至難の業だったと想像されます。
写真の苔むした石垣に興奮してしまうのは私だけでしょうか?( ´∀` )
②枚目 写真真ん中 : 甲府城跡の案内マップ
舞鶴城公園は、16世紀末に築城された甲府城跡の一部で、現在は公園として開放されています。
甲府駅から徒歩約3分の位置にあります。甲府城の規模は、県庁南のスクランブル交差点が当時の正面玄関(追手門)、甲府駅北側に復元された山手御門(やまのてごもん)が北の玄関口、さらにその外側には二の堀・三の堀が開削され、城跡を中心に19haもの土地が城内に取り込まれていました。
③枚目 写真の下側 : 稲荷櫓
公園内には、築城当時の石垣、復元された門や稲荷櫓、さまざまなイベントが行われる自由広場などがあります。桜の名所としても有名で、約160本の桜が甲府城の石垣を囲むように咲き誇り、遠方に見える富士山と共に観賞しながら、のんびりと散歩ができる憩いの場ともなっています。天守台からは東西南北360度の景色が広がり、四季折々の甲府の風景を一望できます。是非、甲府城跡へ足を運んでみてはいかがでしょうか( ´∀` )
※ 舞鶴城とは白壁が重なり合うその優雅な姿から「鶴が羽根を広げたような城郭」という意味で呼ばれた、甲府城の別名の1つです。
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